学校日誌

フタバアオイを京都へ!

2024年4月19日 14時14分
今日は4時間目に、「葵の会遠州」の方にご来校いただき、フタバアオイをポットに移す作業を行いました。
なぜフタバアオイかというと…?

それは、城山中で育てたフタバアオイを、来月京都で行われる「葵祭」で使用するためです。
葵祭とは…? 以下、京都市観光協会HPより抜粋しました。

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葵祭の起源は『賀茂旧記』によると、その祭祀の起源は太古御祭神・賀茂別雷大神が神山に御光臨される際、神託により葵を飾り、馬を走らせ、神迎えの祭りを行ったことに始まるとされています。約1500年前、欽明天皇(在539~571)の頃に遡ります。風雨が続き、五穀が実らなかったため、勅命により当時賀茂の大神の崇敬者だった卜部伊吉若日子に占わせたところ賀茂大神の祟りであるとわかり、旧暦4月に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)を行いました。すると風雨がおさまり、五穀も豊かに実って国民も安泰に。この行事が葵祭のルーツとされています。819年には、律令制度で最も重要な恒例祭祀に準じて行う国家的な行事となりました。平安中期の貴族の間では、「祭り」と言えば葵祭をさすほど有名で、「枕草子」や「源氏物語」といった文学作品にも登場しています。もともとは「賀茂祭」と呼ばれていましたが、江戸時代に、当日の内裏宸殿の御簾や牛車などに二葉葵を飾ることから葵祭と呼ばれるようになったと言われています。
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この葵祭には約一万枚のフタバアオイが使用されるのだそうです。かつては上賀茂神社に自生していたものでまかなえていましたが、生息地の減少等により祭に必要な数が揃えられなくなってきました。そこで、フタバアオイを奉納する人たちを全国から募るようになったのだとか。また、徳川家の家紋である「三つ葉葵」のモデルになっているとされ、徳川家にゆかりのある遠州地域でも学校や企業がフタバアオイを上賀茂神社に奉納しているのだそうです。城山中では2014年からこの活動を継続しています。

前置きが長くなりましたが、今日は3年6組の生徒たちが代表して作業に取り組みました。ここ1・2年の間に卒業した先輩たちが植えてくれたフタバアオイは、中庭にあります。ここから一株ごとにポットに入れて土をかぶせていくという作業です。みんなで協力して進めていきました。





















こうしてできたフタバアオイのポットは、修学旅行の時にバスに積んで、京都まで運びます。上賀茂神社に奉納されたフタバアオイは、「葵の森」に植え戻され、来年以降の葵祭で使用されるのだそうです。
なんだか、とっても勉強になりました

さて、ここで校内の様子にも目を向けてみましょう。
いよいよ1年生にもタブレット端末が割り振られ、学習で使用することができるようになりました。早速使っているところを・・・!と思って北校舎3階まで階段を駆け上がったのですが、個人ごとの設定が終わり、本格的に使用するのは来週以降になりそうです。
そんな中でしたが、1年生の帰りの会の時間に、ステキな光景を見かけました。
教科係や学級委員のスピーチ、中には「今日、こんなにいいことをした」といった発表に対し、それぞれの人たちを称揚する拍手が多く行われていました。一人一人の発言にしっかり耳を傾ける環境を自分たちで作っていることが、なにより素晴らしいですし、クラスの温かい雰囲気づくりに一役買っているようにも思います。











さて、恒例「今日の給食」です。今日は献立が書かれたホワイトボードを写しそびれてしまいました。











ハンバーグが絶品でしたね。

【最後までお読みいただき、ありがとうございました】